『青いバラ』最相葉月

「青いバラ」最相葉月 著 小学館

 

 

 

 

 

 


それを美しいと思いますか?

花ならばすべて好きと言いたいところだが、嫌いとまでは言わないにしても、好きになれない花もある。たとえば、カトレアは好きだが胡蝶蘭は好きではない。花の好みは人それぞれで、「花のない生活など考えられないわ」と言っていた花好きの家内は、私とは違ってどちらかといえば派手な花よりも地味な花々、虎の尾、貝母、野牡丹のような花を好んでいた。その家内も今は亡くなって、私が家に花を飾る役目となったが、これは私の好みが出ることは致し方ない。比較的安価で見栄えがするので百合が主になる。色のついた百合は好まないので、カサブランカとかシベリアが玄関の花瓶に活けられることが多い。私が家を花で飾るのは、家内が亡くなったあとも、できるだけ生前と同じように生活していきたいという思いもある。

私が初めに美しさに魅かれた花は薔薇であった。フランスのメイヤンが作出したピースが園芸種として出回ったころで、柄にもなく庭に植えてみたが、数年経つと見る影もなくなってしまう。薔薇ほど手の掛かる花はない。肥料、水やり、防虫、剪定と毎日掛かり切りでなければ良い花は望めないのである。塚本邦雄は、『百花遊歴』(文藝春秋)の「薔薇」の項で、「薔薇の主たる品種一通り植ゑるなら、すべてを廃してひたすらこの女王に仕え奉る園丁とならねば、結果は知れているのだ。だから私は薔薇を植えない。そして週に一度花店を訪れて一抱えほど買ってくる」と書いている。

しかし、塚本大人の言ではあるけれども、「専門の薔薇栽培人が営利のために飼ひ馴らした、無慙に美しい薔薇」は、たとえ見る影もないような花であっても、自らが庭で作った薔薇とは、あの馥郁とした透明感のある香りに劣るように思われる。塚本は言う。「鮭紅に檸檬黄、純白に臙脂。青を除けばどんな色でも手に入る」と。たしかに、薔薇には青の色は許されていないのである。

塚本のこの本が出たのは1979年のことだが、それ以後になって、遺伝子組み換えの技術を使って青い薔薇の作出が試みられるようになった。青薔薇の作出の苦心を描いたのが、最相葉月の『青いバラ』(岩波現代文庫)である。

最近では、青い薔薇は商品となっているけれども、1本だけをケースに入れて美しく包装して売っている。珍しいもので高価だから贈り物としてお使いくださいというのであろう。青い薔薇と称しているのだが、紫の色合いがどこかに残っているような本当の青とはいいかねるようである。花の色は、というよりも、すべての色は三原色からなりたっている。

一つの種の花には、そのうちの二色を使うことは許されているが、三色すべてが許されていることは自然のなかではまずないことである。青い薔薇は、神の手によっては産み出されず、人の手によってのみしか産み出されない。そして、本当の青い薔薇が作出されたとしても、『青いバラ』の著者最相氏が新潮文庫版あとがき(岩波現代文庫にも所収)で引用している、薔薇の栽培家として著名な鈴木省三氏の「青いバラができたとして、あなたはそれを美しいと思いますか」という言葉を深く味わってみるべきではないかと思うのである。

                                 平井一雄

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